2019年5月19日日曜日

しょうもなくない

 ここ数日、やけに心が荒んで、すっかり自信喪失して何もかも嫌になって、自分はなんてしょうもない人間なんだろうとそればかり思って、昨日など飲み過ぎて今朝二日酔いになってしまいました。
 だけど今日、両親が来て、みんなで施設にいる母方の祖父に会いに行ったり、そのあと、今年の1月に亡くなった祖母のお墓参りをしたりしたら、心にもくもく渦巻いていた毒気が抜けて、ああ、自分のことを、しょうもないなんて思ったらいけないなあ、と思いました。
 子どもの頃いろいろなところへ連れて行ってくれて、いろいろなものを買ってくれて、今でも会いに行くといつも優しく微笑んで迎えてくれる祖父。会うたび「かわええなぁ」「背が伸びたが」「すげえなぁ」と、なんでも心から褒めてくれて、手をつなぐふりをしたりしながらこっそりお小遣いをくれていた祖母。そして育ててくれた両親。そんなにたくさんの血を受け継いで愛情をいっぱいもらって生きているのに、自分のことをしょうもない人間だなんて、軽々しく言っちゃいけないよなあと、恥ずかしくなりました。血を受け継いだ孫が、自分のことをしょうもないと思いながら仏頂面で生きていたら、天国へいったおばあちゃんの魂が悲しみます。お墓で手を合わせながら、おばあちゃんごめんなさい、ちゃんとしっかり生きていくから見守っていてくださいと伝えました。
 祖父は認知症が少しずつ進んでいると聞いていましたが、今日は朗らかで、会話も弾み、長女といろいろな話をしていました。祖父の部屋は日当たりのいいとてもいいところで、いつも静かでのどかな時間が流れています。たまにちょっと不思議な発言はありつつも、祖父はやっぱり私の祖父であり、そして母の父親であり、私たちがそろそろ帰ろうとしていたら、「なんか、こうとったら(買っておいたら)よかったなあ。これで子どもに、なんかこうちゃってくれな(買ってやってくれ)」と、母に小銭を渡していて、胸の奥がギュッとなりました。
 お見舞いとお墓参りのあとは、小さいころ祖父母によく連れて行ってもらっていた公園で子どもたちを遊ばせました。子どもたちの様子を見ながら、母とPTA役員あるあるを話して笑ったり、父と一瞬だけバドミントンをしてまったくラリーが続かなかったりして、楽しくて安心なひとときを過ごしました。
 これからも忙しい毎日が続きますが、しょうもないなんて、思わない。鈍臭くて視野が狭くて会話も下手で、周りの人のようにいろいろなことがスムーズにスマートにできないことも多いけれど、それでも私は、しょうもなくなんかない。たくさんたくさん褒めてくれたおばあちゃんと、お墓で約束しました。胸を張って生きる。

2019年5月16日木曜日

しょうもない私が見上げたばっかりに何万光年しょうもない空

 幼稚園の役員関係でバタバタな5月後半。集まって話し合いなどしているあいだは、それなりに楽しく愉快な気持ちで参加できているのだけれど、家に帰ると、とたんにどっと疲れとモヤモヤが押し寄せてきて、しばらくフリーズ状態、口もきけない状態になります。自然体でいようといつも思うのに、実際にはギクシャク必死に何かを取り繕って、オドオド全開、言葉はちぐはぐ、目は泳ぎっぱなしの、しょうもない状態です。ラインでのちょっとした打ち合わせも、ほんの数行を打つのに異常なまでに時間がかかってしまって、文面を考えながら目を覚まし文面を考えているうちに日が暮れていくような、これまた、しょうもない状態です。
 そんな事情もあり、お酒は週末だけと決めている・・・と、たったこの前書いておきながら、実のところ全然守れていません。魂をアルコールで洗浄しないことには、1日を穏やかな気持ちで終えられないのです。ストロング系缶チューハイは、1缶でぽわぽわに酔いすぎるので、平日用に梅酒を買いました。初夏、ソーダで割って飲む梅酒の、美味しいことといったら。
 本当はアルコールに頼らず、ほかの手段を探すべきなのかもしれないし、探せばあるに違いないのだけれど、その気力がありません。夜、寝る前にお酒を飲むと、1日分の黒い雲が、ざーっと霧散してリセットされる気がします。そしてスコーッと眠って夢の中にダイブできます。休肝日も作りつつ、今年はお酒の量が少し増えることを、自分に許そう。それにしたって、私ときたら、やることなすこと、ここにこうして書くことまでも、しょうもない。もう少し、何かしら、すてきでありたかった。

2019年5月13日月曜日

子どもたちのことを詠んだ短歌

段ボールハウスに飽きたあとのことちょっとは考えながら作って

忘れ物しないとバランス崩すのか今日はものさし昨日は下敷き

「ゲームしていい?」と聞くときだけやけに澄んだ眼差し純真な声

三角食べ促したときのみ汁とお米が視界に入る食卓

ランドセルその日の宿題内容で肩から下ろす角度が変わる

眠い子に朝の呪文をかけていく ハンカチティッシュ名札水筒!

水筒を空っぽにして帰宅する今年も過酷な夏が来るのか

まだ抱っこ喜ぶ小学三年生そのたびズルいと飛びつく五歳

ケンカして泣いて離れて数分で新たな遊びの発案をする

がんばったシールをもらえなかった日ががんばらなかったわけじゃないから

2019年5月12日日曜日

何ひとつ海は見てない貝殻を拾うしぐさが演技じみても

 夫も休みの土日。昨日は海を見に行って、砂浜でハッピーセットを食べながら、令和元年5月の瀬戸内海を目に焼き付けました。子どもと夫は波打ち際で足だけ浸したり、山を作ったり貝殻を集めたりして、海開き前の海を楽しんでいました。五月晴れの瀬戸内海は青くて眩しくて、瀬戸大橋が霞の向こうにうっすらと見えました。まだかなり幼いころ、瀬戸大橋が開通して間もない夏、祖父母と一緒に車で瀬戸大橋を渡ったのを覚えています。ものすごい大渋滞だったので途中車を降りて、瀬戸大橋から海を見下ろしました。エメラルドグリーンという色の名前を覚えたのは、たぶんこのときです。あのとき瀬戸大橋から見下ろした海原は、青でも緑でもない、深くそれでいて透き通った色でした。
 今日は、これから始まるプールの授業に向けて市営プールで子どもたちの泳ぎ練習をしたり(長女がなかなか上達しなくて悩ましい)、そのあとはショッピングセンターで子どもたちの新しい運動靴を買ったりしました。運動靴売り場のそばでランドセル展示会をやっていたので、次女に少し背負わせてみたりもしました。生まれたときからずっと発育曲線ギリギリはみ出し気味の小柄な次女は、どのランドセルを背負ってもカタツムリのようで、とてもこんなの背負って学校まで歩けそうもないと、心配になりました。なんとか伸びてくれるといいのだけれど。長女ははっきりした色が似合うのですが、次女はどちらかというと、淡い色が似合って、薄いブラウンなんかいいかもしれないねという話になりました。1年後にはわが家にランドセルが二つになるなんて。なんだか時の流れの速さに酔いそうになるので、いまは、目の前のことだけを考えて過ごしたいです。

2019年5月9日木曜日

金魚でも掬うみたいに首かしげ気怠い今日に意味を求める

 長かった連休が終わり、日常が戻ってきました。連休明けの気怠さを引きずりつつも、なんだかほっとしています。長女も次女もそれぞれそれなりに楽しそうに、学校と幼稚園に通っています。家族みんな、それぞれそれなりに楽しく日常を送っていければ、それが何よりの幸せだなあと思います。働ける体と、休める家と、生活していくのに困らない程度のお金があれば、ほかに望むものなどないのです。と言いながら、欲望や憧れは限りなく生まれ続けるのですが、それは生きるための活力になるものだから、よしとしよう。満足しきっているよりも、常にほんの少し不満なくらいが、私の場合、ちょうどいい緊張感で生きていけます。

 私の最近の楽しみは、仕事のない週末など遅くまで起きていても大丈夫な夜、子どもたちが寝たあと、テレビなどだらだら見ながら缶チューハイを飲むことです。ここのところ、ストロング系缶チューハイの美味しさと心地よさに目覚めてしまいました。ポテトチップスと缶チューハイという体に悪そうなこの組み合わせが、いま私の最強ハッピーアイテムです。敷き詰められた理性の葉をザクザク踏み潰すようにポテトチップスをかみ砕き、蜘蛛の巣のように張り巡らされたモヤモヤめがけてチューハイを流し込んでいけば、みるみる心はほがらかに、しあわせになっていきます。弱くはないけれどさほど強くもない私の場合、ストロング系なら350ml缶1本でどろんと酔えてしまうから、ストロングってすばらしい、そして恐ろしい。飲み過ぎて健康を害してはいけないので、基本的には週末だけの楽しみと決めて楽しんでいます。