2020年12月31日木曜日

浴槽のお湯に揺らめく照明で光をすくう練習をする

  2020年が終わります。今年は世間的にも、個人的にも、実にとんでもない、まさかまさかの一年でした。それでもなんとか、家族みんなそろって元気に年を越せそうなことを、しあわせに思います。
 この1年で長女はより生意気に、次女は活発になりました。少しずつ世間のざらつきに触れ、現実世界の仕組みを知りつつある長女に、何をどう伝えていこうか、伝えずにおこうか、迷うことが多いです。次女に関しては、どうかこのまま、天真爛漫な心のままでいてほしいと、叶わぬ願いを、ついついかけてしまいます。
 いわば試練の一年で、夫婦とは何か、共に生きるとはどういうことなのか、よく分かった気がしました。まだまだこれから先の人生でも、いろいろなことがあって、そのたび、分かり続けていくのでしょう。結婚するときに決めた覚悟など、たちまち消える甘い飴玉みたいなもの。本当の覚悟は、日々の積み重ねの中で、練り込まれて、熟成していく、味噌みたいなもの。
 2021年は家族みんなが、穏やかに健やかに暮らしていけますように。

2020年12月25日金曜日

書こうよ

 先ほど洗面所で、そばを通りかかった長女に「あれ、お母さんがなんか小さく見えた。こんなに小さかったっけ」と言われて、その瞬間に「あ、やばい、ブログ書かなきゃ」と思いました。私が小さくなったのではなく、長女がここのところ急に大きくなってきて、その成長のスピードに、感覚が追いついていないから、長女はそんなふうに感じたのでしょう。その、喜ばしくて寂しい出来事を、当日のうちに書き留めておきたいと、強く思いました。
 ここのところの私は、たぶん自分史上もっとも、自分の人生について興味がなくなっていて、頭の中がとっちらかり続けていて、ブログに書こうと思えるようなことを、見つけようともしていませんでした。これまでずっと基本的に、私は自分の人生に興味を持って生きてきて、だからこそブログも書いていたのだけれど、これまでずっと続いていたその糸が、ぷつっと切れたみたいな感じで、そんな自分に戸惑っていました。だけど今日の、長女の何げない一言で、「あ、書きたい、書かないと」と思えたから、いろいろなことが落ち着けばまた、切れた糸もつなぎ直せるのかもしれません。
 それにしても、ついにわが子に、私が決して大きいほうの大人ではないことが、分かり始めるときが来てしまったのか。何の疑いもなく親の愛に包まれていた幼いころ、空や海と同じくらいに大きく深く果てしない存在だった親のことを、ある瞬間にふと、なんだ、お父さんもお母さんも、ごくありふれた、か弱い人間なんだ、と気づいてしまう。そのときが、長女にも訪れようとしているのか。寒くて背中を丸めがちだから、それもあるのかな。意識して、背筋を伸ばそう。グランマンマーレぐらい大きくありたい。

 自分の生活に興味を失っている反動からか、自分以外の人生が描かれている物語を摂取したい欲求が高まっていて、アマゾンプライムで映画をむさぼるように観ています。昨日はクリスマスイブだったから、『ラストクリスマス』を見てぼろぼろ泣きました。
 いろいろ見ているうちに、だんだん自分の好みが分かってきました。まず、圧倒的にハッピーエンドのほうが好き。そして、深刻すぎるものよりは、ちょっと笑える要素もあるほうが好き。見終わったあと、生きる力が湧いてくるような作品を、いくらでも見たいです。なるべく明るく生きていけるように。
 ジャンルでいうと、ラブコメとかヒューマンドラマが好きで、たぶん好みの軸に高橋留美子の漫画があるので、笑いと切なさのバランスがとれているラブコメなんか大好物です。2年前にどはまりしたドラマ『おっさんずラブ』は、そういう意味で、最高だったなぁ。牧くんに恋をしてしまってしばらく大変だったなぁ。もうあれほど大変なことになるドラマに出会うことはないでしょう。

 今日はクリスマスで、子どもたちはサンタさんが持ってきてくれたプレゼントに大喜びの一日でした。長女には、100色のカラーマーカー(コピック的な)と、絶賛ドハマリ中の漫画『らんま1/2』の下敷き。次女にはキッズカメラとポシェットが届きました。2人とも、ちゃんと心から欲しかったものだったようで、よかったです。2020年に『らんま1/2』の下敷きを新品で手に入れるのは、サンタさん、なかなか苦心したんじゃないかなあ。
 小学4年生くらいになると、「サンタさんなんていないよ」という情報を友達から吹き込まれるようになってくるみたいですが、それでも長女はしっかり、サンタさんを信じています。「だって、こんなに私の本当に欲しいものが分かる人なんて、サンタさん以外いないでしょう」と。そんなふうに思ってくれる子どものところには、来年もちゃんとサンタさんが、念入りに調査を重ねて最高のプレゼントを用意してくれることでしょう。
 イブの夜とクリスマスの朝の、子どもたちの高揚感が大好きです。その様子を見られただけでもう、ああ今年も一年この子たちと生きてこられてよかったと、幸せな気持ちに包まれます。

 こうして文章を書いているうちに、失われていた興味が、ちょっと戻ってきたような。文章を書く事、だれかに伝わりますようにと願いを込めて言葉を選ぶことって、やっぱり、私にとっては大事。何度あらためて確認しても足りないくらいに大事。大事!

2020年12月11日金曜日

あと半歩踏み間違えば電柱が今夜の月を貫くだろう

 もうじき自分たちがこの町からいなくなることが確定しても、当たり前のことながら、町の様子は何もかもいつもどおりで、ただただ、自分たちだけがここから抜け落ちていくのだな、そしてまるで最初からいなかったみたいにこの町は続いていくんだなと、そんなことを思いながら歩いていると、なんだか体がうっすら透けて、もうこの町にいない自分の魂がストリートビューみたいな距離感でこの町を眺めているような、奇妙な感覚に見舞われます。見慣れた景色の何もかもが、まぼろしみたいに儚げで、気を抜くと、目の前の全部が消えてしまいそうです。実際この町から消えていくのは私たちのほうなのだけど。私たちがこの町で7年間暮らしたことを、ほんの記憶の片隅にでもずっと覚えていてくれる人が、いるだろうか。いつもぼんやり夢を見ながら、地味に地道に暮らしていたよ。

  本当はまだ早いのですが、子どもたちがやりたがるので、少しずつ、段ボールに引っ越しの荷造りをはじめました。元来引っ越し作業はわりと好きで、いつも引っ越しのたび荷造りも率先して楽しくやっていたのに、今回はどうにもなかなか力が湧きません。ひとつ段ボール箱ができあがるごとに、日常の風景が壊れていくような感じがして、寂しいです。そんなことを言い出せば、本当はもうずっと前から、私の望んだ日常なんて壊れていたのか。
 荷造りを始める前に、雑然とした日常の部屋を、すべて写真に撮っておきました。私が移動するたび子どもたちもついてきて、一緒に写真に写り込んではしゃいでいました。子どもたちは、寂しくないのだろうか。日常を送っていた部屋が、引っ越し当日あっという間に何もなくなり、はじめて訪れた日と同じ状態になって、まるで、人生を巻き戻されたような、もしくはごそっと取り除かれたような気のするあの感覚を、これから初めて味わうのか。
 まぼろしみたいな7年間だったけれど、子どもたちは二人とも元気に育ってくれたから、それだけでもう、十分に意味のある日々でした。

 スーパーからの帰り道、信号待ちでふと頭に浮かんできたB'zの『Raging River』の歌詞が、まるごと自分の気持ちそのままだと気づき、それからたちまち、この世でうちの気持ち分かってくれるんはやっぱり稲葉さんだけや!!モードに突入し、エンドレスリピートです。発売された時期的に、これは稲葉さんが、ちょうどいまの私ぐらいの年齢のころに書いた歌詞かもしれず、そう思うとそんなことも嬉しく、稲葉さんが分かってくれるのならばこの先もWe'll be alright。

2020年12月2日水曜日

「まんげつはたぶんあしたの気がする」と月のまるさをまだ認めない

  月とか、雲とか、風に揺れる草花とか、そういう自然物に、深く心が癒やされるのを感じるようになったのは、最近のことです。評価や価値観がめまぐるしく変化する人間社会と違って、太古の昔からずっとそこに変わらずありつづけている自然物は、なんて大きく、絶対的で、無欲で、静かなのだろう。
 少し前までの私は、たとえば美しい風景を見て、わあきれいだと思っても、ただ純粋にその風景を眺めるのではなく、その風景を見ている自分の心模様に焦点を合わせていました。だからそんなに長いあいだ同じものを眺めていることはなく、視線をあちらこちらへ移していくことで、心の変化を楽しんでいました。
 しかし、今は違います。ただただ、癒やされるためだけに、眺めていたい。それに向き合ったときの自分の心のことなど、どうでもいい。だから、長い長いあいだ、飽きずにいつまでも同じ景色をじーっと眺めていられるのです。夜空にしろ海原にしろ岩山にしろ、あるがままの自然物には底知れぬ恐ろしさがあるけれど、美しさだけでなく、そういう恐ろしさも含んでいるものにほど、深く癒やされるのを感じます。月なんて、その最たるもので、美しくて恐ろしくて、首が痛くなるほど眺めていたいです。絵画にしても、これまではどちらかというと人物画のほうに興味があったけれど、いまは断然、風景画をたくさん見たい気分です。
 なんだろう。年を取ったということなのだろうか。花見とか、紅葉狩りとか、お月見とか、今の私なら、これまでの百倍ぐらいはじっくりのんびり楽しめる自信があります。ああ、熱燗飲みながら、お月見したいなあ。ユニクロのヒートテックとニトリのNウォームに身をくるんで。

 ブログに、何をどこまで書くのかという問題。これはブログを書き始めてからずっと、常につきまとっています。その判断は、その時々によって微妙に変わるので、昔のブログをたまに見ると、赤裸々になんでもかんでも書きすぎだろうとゾッとしたり、オブラートに包みすぎていてこれは一体なんのナゾナゾだいとシラケたりします。結局、これといった正解がないのです。
 このブログを長年書き続けたことで、学んだことがあります。それは、何か一つのことを続けていくなかで、その時々の状況でいろいろと変化していくのは別に悪いことじゃないんだということ。それから、何がどう転んでも守り通すべき軸みたいなものを一つ持っていれば、どんなに周りが変化しても続けていくことができる、ということです。
 たぶん、このブログにとって、何を書くかは、それほど重要なことではなく、変わっていっていい部分なのだと思います。だから、これまで書いていた事柄でも、書きたくなくなったなら、書かなくなってもいいのだし、逆に、これまで書いていなかったようなことを書いたっていいんだ、それは変わっていい部分なんだと、そう思うと、気持ちが楽になります。自分の中にある芯さえ守れていれば、書き続けていけるはず。
 こんなひっそり書いているだけのブログで、私は何を大仰に語っているのでしょう。私はいつだって、私に関することを語っているだけです。

2020年11月30日月曜日

ピンぼけのアートを君は極めたの辿り着けない窓の向こうに

 ブログを書けない日々が続いていました。いろいろありすぎて、書けませんでした。
 いろいろな出来事の結末として、もうじき引っ越します。
 夏に夫の勤め先が閉鎖して生活が変わり、その後もいろいろうまくいかず、振り出しに戻って私たち家族の生き方を考え直すことになりました。そうして夫の出した答えが、静かな土地で、身内のそばで暮らすことでした。
 思いも寄らない夫の提案に、私ははじめ強く抵抗し、しかし話し合ううちに、家族みんなのこれからにとって、それが最善の策なのかもしれないと思えてきて、最終的に同意しました。ただ、完全に受け入れるには時間がしばらくかかって、1週間ぐらいは、何を見ても何をしていても、これまで過ごした日々のことや、それが終わることへのやるせなさが、ぎゅうぎゅう胸に押し寄せて、ぼたぼた泣いてばかりいました。
 次女0歳長女3歳でこの町にやってきて、てんやわんやの子育て期間を過ごした7年間。これからもここで育てていくつもりで、いろいろなことを思い描いていた未来。振り返ってみれば、子どもたちの幼稚園入園、卒園、小学校入学、歯医者さんや小児科通い、週末の公園や図書館、それらなにもかも超高速で過ぎていった一瞬の出来事のようで、私はいったい、この7年間、何をしていたのだろう、この日々はなんだったのだろう、何を望んでいたんだろうと、体の力が抜けて、なかなか前を向けませんでした。
 しかし、そうこうしているうちに夫が希望した仕事に決まり、子どもにも今後のことを伝えたら、2人とも引っ越しと転校を思いのほか前向きに受け入れて楽しみにしはじめたので、それから少しずつ、私も吹っ切れてきて、前向きに考えられるようになりました。
 私は数度の転校を体験しているから、転校の楽しさも、それから大変さもよく分かっているつもりです。だから、いま心配なのは、とにかく子どもたちのことです。楽しいことの多い日々でありますように、つらいことの少ない日々でありますようにと、今は、毎日そのことを祈っています。
 しばらくはバタバタと不安定な日々が続きます。今年1年、いろいろなことがありすぎて、疲れたのでもう、多くのことは望みません。ただただ、のどかに穏やかに、大切な人たちと笑い合って暮らしたいです。本当に本当に、それだけを切に願います。そのためだけに、目の前のことを日々こなしていこう。
 
 仕事でいろいろな人の話を文字に起こしていると、立派な生き方をしているなあ、すてきな話し方をするなあ、と思えるような眩しい人物に出会うことも多く、自分もこんなふうに生きてみたかったとぼんやり思ったりもするけれど、むやみやたらと人の生き方にあこがれを抱くのは、もうやめたいです。どんなに世界が広かろうと、あらゆる可能性に満ちていようと、私は、限られた空間でしか生きられない限られた命でしかなく、それならば、叶えられもしない願望にあれこれ思いをはせるより、いま、この場で現実的にできることについて、最大限に考えて生きるほうがいい。そう思うようになりました。
 過度な期待をしないこと。下手に理想を抱かないこと。それを今後しばらくの目標にします。自分自身にも、周りの人にも、土地にも、集団にも、物にも、あらゆるものに、期待をしない。理想を持たない。それは決して、ネガティブな意味ではなく、そうすることで、どんな状況であっても、「ああ、そういうものなんだな、そういう人なんだな」と、受け流して生きられるようになりたいのです。期待をすると、もっとこうあってほしい、こうしてほしいと、思って勝手に失望してしまうから。今までずっとそうだったから。期待しない。理想はいらない。淡々と現実を受け止め、目の前のことをこなしながら、一生懸命に日々を生きていく。そういう大人を目指します。